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MG 松江の粋〜食文化と隠れ家〜/小泉 凡
島根女子短期大学助教授・小泉八雲曾孫
絵
★「松江の風景」小泉凡(ポストカードより
 「食」が豊かな町は、旅人にとっても居住者にとっても魅力的だ。松江に住んで15年になるが、そのことを実感することがたびたびあった。
 市立女子高校につとめていた頃、体育の先生が授業を終えて教官室に戻り、ひとり抹茶をたてて飲み、ふたたび小走りにグランドに出て行く光景をみて驚いたことは忘れられない。また、御津の浜で漁師たちが網を繕う手を休めて抹茶を楽しむ光景をテレビで目にした時も同じような衝撃を覚えた。しかし、こういったことは、この地域ではごく普通の行動であることがその後の経験からわかってきた。
パパサマ、ママサマ 茶の文化が民衆の間にしっかりと浸透しているのである。特別に茶の湯を習わなくとも、茶を嗜む文化環境が地域に継承されているということなのだと思う。これは不昧公の力だけではなく、もともと農村地帯や城下で飲まれてきたボテボテ茶や沿岸部でのヤナギカケ(いずれもお茶漬けに近いもの)のように、食物とともにお茶を喫する間食の習慣が根強かったことによるのではないか。ボテボテ茶の類を一般に「振り茶」というが、この習慣は青森県から沖縄県までかつてはあったことが報告されている。でも1814年に島根を縦断した野田泉光院という修験者が、日記の中で「出雲・石見両国の者は煎茶を茶せんで泡立てて飲む。これは馬の尿をみるようでひじょうに飲み口が悪い」とけなしているのだが、逆にいえば、これほど日本中を歩いている山伏が石見・出雲にくるまでボテボテ茶を知らなかったということであり、この地方にはボテボテ茶の習慣が非常に深く浸透し、他の地域では消滅してもまだ残っていたという証言にもよめる。庶民にしっかり定着したボテボテ茶は、茶道文化発展の素地になり得たのだろう。
 松江の食文化に貢献しているのはお茶だけではない。宍道湖や中海でとれる魚介類の季節による見事なまでのバリエーション。またその料理法、食べ方もしかり。移ろい豊かな宍道湖の表情と多彩な調理法が響きあっている。かつて、ジョン・アイルズという英国人ジャーナリストが宍道湖とジュネーブのレマン湖が似ていると言ったが、そのレマン湖を終日眺めて過ごしたことがあった。一番の違いは移ろいの有無だと思った。レマン湖はいつみても美しいが水深が深いこともあって宍道湖のように表情が移ろはない。食の豊かさにも移ろいは欠かせない。荒木英之さんの『松江食べ物語』を読んでそのことを実感する。また、荒木さんのような魯山人顔負けの食通が松江におられることじたい、背筋がぞくっとするほど文化の成熟度を感じる。菓子にしても、高くてうまいものは京都でも東京でも、全国のデパチカでも買えるが、これほど種類が多く、味もよく、価格が安いというところはない。これこそ文化的都市といわれる所以ではないか。
 ところで松江にはこれだけ豊かな湖の幸があるのに七珍料理を出す店が少ないという苦言を、旅人からも松江の観光に携わる方からも時々耳にする。よく考えれば、移ろいを大事にする松江料理が、それぞれ季節の異なる七珍を同時に提供できるはずがない。それを無理してやったところで、食文化が磨かれるとはとても思えない。どうしても食べさせたければ季節をかえて4回来てもらえばいい。
 それより松江にはMGのような隠れ家的な味処が存在することを旅人にも知らせたい。その独特の雰囲気の中でランチやカツ丼を食べてその虜となった人は少なくない。どんな食通でもMGのランチに文句をつける人はいないのではないか。ウィンドサーフィンを愛し、この店の雰囲気と料理とコミュニケーションを愛する人たちがいまも仲間を増やしながら集っている。時にコンサートも開いて文化を発信している。こんな隠れ家の存在こそが、松江の粋をつくり出すと私は信じている。

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